秘宝館・久藤睦月様からの御依頼品

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 静かな空。
 久藤百佳が初めに受けた印象はそれだ。いや、空なんて全部そんなものかもしれないが、キャノピー越しにごまんという空と、そこを流れていく千切れ雲を見つめてきた。故に、些細な変化であっても、彼女は感覚的にその違いを読み取ることが出来た。
 その空の下には、生活の証ともいえる明かりが灯る、共和国の家々がぽつぽつと立ち並んでいる。
 しかし、そこに人の気配は無い。この高さ見ても、その異常さは見て取れる。家々を繋ぐ路に動くものが存在しないのだ。
 街全体が、そう、夢の中に落ちたように、この国内の時間は凍り付いている。

「散開。地上の様子を確認せよ」

 戦闘を飛ぶ一番機が、空気とキャノピーのぶつかる轟音の中で叫ぶ。ほとんど雑音にかき消され、聞き取り難いその声で告げていたのは、散開を指示だ。何かがいて、何かが起こっている。そう判断したんだろう。
 即座に了解し、目の前を左に滑っていく2番機とは反対側に百佳も滑っていく。
 まるでゼリーにでも刃を立てたように、すんなりと翼を受け入れて切り裂かれていく空に違和感を覚えながら、機体を傾けて地上へ視線を向ける。空には、静か過ぎるこの場所には、恐らく敵はいない。
 確信して向けた視線にも、映るものは人間から忘れられたように動きを止めた街だ。ただ並木が、風に揺られて微かにざわめいて見える。
 見渡す限り、死んだ街。共和国のほとんどがこんな様子なのだろうか。
 一瞬、頭を過ぎった間の抜けたアノ顔を、目を閉じて振り払い、もう一度しっかりと地上を凝視する。気にしても始まらない。自分に今できることは、空から見下ろすだけなのだ。

 …………。
 ……。

「全機帰投せよ。第二陣を向かわせる。その間に空中給油を済ませ、給油後再度偵察へ向かえ。偵察エリアの変更は追って通達する」

 何分が経ったのだろうか。一日中そうしていたかのような疲労感を感じながら、他の2機に続いて了解。機体を反転させて合流し、元来た方向に機種を向けなおす。
 間違いなく何かはあったのに、その何かがわからない。
 百佳は苦いものを噛んだような顔をし、糸を引くような蟠りを感じながら、足早に共和国の空を後にした。

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 桃色の雨が降る、というのは誰が言った言葉だろうか。

「宰相府はかなり来てるけども実は春の園は初めてな私 綺麗だなぁ」

 今、自分の考えた言葉だ。
 百佳は雨に打たれ、眉間に皺を寄せながら、自分の少し前を歩く彼の背中へ向けて、ほとほと呆れた視線を投げかけた。

「こんにちわー。お久しぶりです……どうしました?」

 何事も無かったかのような間の抜けた表情と、すっとんきょうな台詞。
 一日の4分の1ほどを空の上で過ごしていたこちらの身にもなって欲しいというものだ。
 まったく――

「――。」

 目を伏せ、誰にも聞こえない声で百佳が呟くと、彼は小首をかしげて見せる。

「いえ。大変ですね」

 流石の百佳も、ため息をついてこめかみを押さえ、表情を入れ替えて答えた。心のうちでは、聞こえていないようで何よりだと胸を撫で降ろす。

「あぁ、夢の剣の件……ですか それとも国のこと?」
「夢の剣、ですか。あの、通信途絶事件は。セプテントリオンかと、帝國では大騒ぎになりました」
「いや、うーん、まぁ、小さな子供を助けようとした善意の結果……ですよ」

 なんだ、いつものパターンじゃないか。あまりにも抜けた解答に、百佳は再びため息をつく。今度は、安堵も混ざっている。
 何人もの犠牲の上で、そんなものを吐き出すのは適切ではないかもしれない。それでもまあ、彼が無事だったのだから、それぐらいの権利はあっても許されるだろう。
 歩幅を広げ、百佳は彼のすぐ隣に並ぶ。
 その頬の傍を、桃色の花ビラが、涙でも流すように舞って行った。

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