Stage02-12

「昼間は散々だったみたいだな」

 日が落ち、月も隠れた暗い夜更けの中、薄明かりだけが照らしているシミュレータルームに、シミュレータの中から出てきた東堂の低い声が響いた。
 寒くないのか、彼は上着を脱いで黒のタンクトップ一枚でいる。季節を感じさせない、暑苦しい姿だ。部屋の隅、長椅子に腰を下ろしていたリュドミラは、顔をあげてそう見る。

「はい。おね……イングリッドさんは部屋に篭って訓練データからシミュレーションしてますし、玲さんとあやめさんはぶーぶー文句言いながら天道さんに詰め寄ってました」

 つい数時間前のことを思い出しながら、リュドミラは主立って奇行に走っていた人物の名前を挙げる。
 後者の2人は煩いだけで特に気にしなければなんでもないのだが、イングリッドに至っては同室だ。寝る間も惜しんで机に向かっている彼女を見て居た堪れなかったというのは、彼女が夜更けにこの場所にいる、口に出す必要もない理由だった。

「他はどちらでもないか。これが良いことなのか悪いことなのか……」

 大きくため息をつきながら、東堂が首の骨をゴキゴキと鳴らす。それに呼ばれたように、山田と朽木――戦闘機乗りたちがぞろぞろとシミュレータの中から現れた。
 日中は天道の下でエンハンスドがデスマーチに赴いていたおかげで、戦闘機乗りがシミュレータを使うことが出来なかったのだから当然といえば当然であろう。もうひとり、スコット・スタンフォードも戦闘気乗りであるが、彼の場合は監視付きで行動しなければならないため、むしろこんな夜中にうろつくことが出来ない。

「成瀬君は『仕方ねえなあ』みたいな顔してましたけどね」

 腕を組み、顎に指を当てながら、思い出すように朽木が苦笑した。
 思い出したのは、夕食の時間の成瀬陽介の様子だ。いいことでもあったのだろう。他のエンハンスドに比べ、異質なほど明らかに上機嫌であった。

「2人掛りで敵の動きとめたところにトドメ刺しただけって聞きました」
「……聞きましたって、お前は見てなかったのか?」
「はい。夜行性なんです、私」
「嘘付け。協調性も大事だぞ?」
「私が合わせますから問題ありません」

 淡々と受け答えするリュドミラに、東堂は再び大きなため息をついた。わかってはいるつもりだが、なんでこんな子どもばかりがいるのだろうか。

「昼間にシミュレータで出てきた機体が敵じゃないのが幸いですね」
「逆にだらけるんじゃないかと俺は不安だけどな」

 朽木の言葉に東堂が呟く。上は大方、エンハンスドなんて肩書きを貰った少年少女の根本部分に根付いてしまった”思いあがり”を切除してやろうとしたのかもしれないが、それが狙ったとおりの効果を発揮するとは思わない。
 むしろ逆に、『こんなのがいるならいい』『むしろそれを俺にも寄越せ』なんて事態にならないとも限らない。心配のしすぎだろうか。歳は取りたくないな、と東堂は自嘲気味な笑みを浮かべた。
 もっとも、大人の集団である戦闘機乗りにはあまり関係のあることでも――

「またまたー。楽できるんだからいいじゃないさ」
「……山田さん」

 ――ない、と思っていた。

/*/

「増えている……だと……?」

 メタメタにされたエンハンスドが解放され、ようやくこっちも手が開いたと思った矢先に天道の繰り出した膨大な仕事の山を登頂して来たガブリエルは、既に明かりが消えて暗くなり、巨大な冷蔵庫の稼動する重低音が静かに響く食堂の入り口で、中を覗きながら呟いた。

「おい、子どもはもう寝る時間だろう」

 とりあえず手近な、もとい、鬼気迫る雰囲気を背負っているほうではない少女にガブリエルは声のトーンを落として話しかけた。
 特に深い理由はない。恐らく、少年だったら無視していたどころか有無を言わさずにつまみ出していたところだろう。

「いえ、昼間寝ましたから大丈夫ですっ」

 石井スィ薔薇が高い、響く声で答えた。思わずほとんど人のいない食堂を見渡し、本命もとい、話しかけないでくださいオーラを纏った市原が聞いていないことを確かめると、口元に指を当てて静かにしろとばかりに、自分の声を更に落として喋りだした。

「いや別にそういう問題じゃねえんだけどな……。何をそこまで熱中してやってるんだ?」
「今日の訓練結果を含めた隊員の情報整理です。各自の癖や傾向がわかれば指揮がずっと楽になります」

 ガブリエルは、聞いてすぐに石井の手元に広げられた資料に視線を向ける。そして覗き込んだ瞬間、駆け抜けていく頭痛に目を逸らた。もはや綺麗に整頓された文字列を見るだけで身体が拒否反応を起こしている。

「そりゃまあそうだけどさ……」

 絶対に今晩中に終わる量じゃないだろう。一瞬見えた文字の量と、テーブルの上に並べられている紙の量からそう推測してガブリエルは呟く。
 それに答える、屈託のない笑顔から逃げるように、彼は明かりの消えた厨房の奥へ消えた。

/*/

 あらゆる地下で生活する生物の生態を元に、眷属の”巣”の構造予測をしていた市原だが、その作業は難航していた。
  アリ、モグラ、ネズミ……。学術的に存在する様々な種の生態を、付け焼刃的に学び、その上でサイズや形状に合わせて何度も構造の想定を繰り返しているが、一向に納得のいく形は見えてこない。それどころか、見えてくるのはむしろ、自分達が眷族について知らなすぎているという事実だ。
 そもそも誰もが恐らく通り、どうにもならなかったことを数日でそれを何とかしようというのも、てんで無理のある話だったのだろう。
 市原は一度画面から目を離し、眠気を訴えて勝手に開いた大きな口を両手で覆った。

「ほら、コーヒー」
「渋めで御願いします」
「コーヒーに渋めも何もな……。じゃあ砂糖入れないで置く。で、順調?」

 どこから現れたのか、ガブリエルを適当にあしらう市原の目の前を、白い湯気が横切り、手元にコーヒーの注がれたコップが置かれると、顔を彼女のすぐ傍まで寄せてガブリエルがディスプレイを覗き込んだ。

「順調でしたら寝ています……それは?」

 不意に目の前に出されたディスクを見て市原が呟く。

「使えばわかる魔法のディスク。今ならタダだけど、どうする?」
「接収します」

 即答だった。
 さっさとガブリエルの手からディスクを奪い、ディスクドライブの中に放り込む。
 カリカリという小気味の悪い、何かを削るような音。しばらくして読み込まれ、ディスプレイに表示されたものに、市原は思わず息を呑んだ。

「……これは」
「以前ロシアの連中が巣に侵入したときのデータ。まあ信じる信じないは任せるけど、一応本物って言っとく」
「どうやって?」
「夜の俺はやり手なんだ」

 歯を見せてさわやかに、そして下心丸出しの笑みで答えるガブリエルに、市原は目を細める。
 この情報がどこまで本当かは不明だが、参考にしない他はないだろう。今ある資料では早くも限界に到達してしまっているのだ。

「ありがとうございます」

 画面をスクロールさせ、市原は食い入るように視線を注ぐ。

「もっと詳しいことは寝物語で……」
「今日は徹夜しますので大丈夫です」
「ああそう、もう作業モードに切り替えたのね……」

 そこまで言うと、市原の隣にあった気配が消えた。ガブリエルが帰ったのだろうか。
 それを態々確かめてやる必要はない。画面から目を離さず、彼女はガブリエルの置いていったコーヒーを取って唇へ運んだ。

「……苦いです」