Stage02-11

 世界がうねりを上げ、廊下が横倒しにされた螺旋階段のように捩れて狂う。

「うぷ」

 ぐにゃぐにゃと、まるでゴムのような弾力を感じさせる鉄の壁に片手を当てて寄り添いながら、創はもう片方の手で自分の口を押さえた。
 既に一度、トイレで戻してきたおかげで胃の中にはただ空間が広がっている。それ故に、気を抜けば苦く熱い、胃液が逆流してきそうな、おぞましい寒気と嫌悪感があった。

「……大丈夫か?」

 翔が苦笑しながら問いかける。
 もうちょっと心配した顔をして欲しいものだが、実際されたところで逆に吐き気がその歩みを速めるだけだろう。
 その辺にゆがんだ顔に、くるくると回り続ける視点をあわせて創はゆっくり、気をつけながら口を開く。

「世界が……回ってる……」
「いやまあ。それは確かにそうだけど。顔、青いを通り越して白いぞ?」

 言いながら親指で指し示された、壁にはめ込まれた窓ガラスを覗き込む。
 そこには確かに、人間のものにしては随分頬がこけ、不自然なほどに不健康そうな男が、気だるそうな目でこちらを見ている。とてもそれが自分自身だとは思えなかった。

「何か収穫はありましたか?」

 心身ともに、ボロ雑巾のようになっていることを今はじめて認識した創に、創と翔の2人よりもやや前を先導して歩いていたシルフィリアが声をかける。
 彼女の周囲には、スコットどころか黒服のSPすら見えない。どうやら2人に対する警戒感のようなものはもはや皆無であるようだった。
 無かったわけではないのだが、創はその問いかけに言いよどむ。なんと言えば伝わるのか、そもそもの言い表しようがないからだ。

「聞くまでもなかったようですね。……はい、出口に着きました」

 その、言葉を押しつぶした苦々しい表情から汲み取ったのか。シルフィリアはくるりと踵を返し、少し進んだところで扉を開いた。
 開け放たれた扉の向こう。港に立ち並んだ幾つもの倉庫の屋根に、夕日の濃い赤色が染み込んでいる。やや肌寒い風が廊下を一気に駆け抜けていった。
 扉の傍らから伸びる下り階段を手で示しながら、彼女は2人のほうへ向き直る。

「ここから降りれば、あなた方はまた昨日と同じような日常に戻ることが出来ます。
 今日の出来事を忘れろというのは難しいでしょうけど、忘れてください。必要のないものですから」

 淡々と、これまでのどこかふざけた調子とは違った口調で彼女が言う。
 彼女の白い肌が、夕日の逆光で黄金色に輝いて見える。そこにいる人物はまるで別人だ。数時間前に初めて出会った瞬間の、気品に溢れた幻想的な雰囲気が蘇っていた。

「逆に」

 何の前触れもなく変貌した雰囲気に、ただ飲み込まれている2人を差し置き、彼女は続ける。

「降りなければ、昨日までの日常を捨てなければなりません。
 その上で、もう一度聞かせて貰います」

 言葉を区切ると、彼女は一歩、2人の元へと歩み寄り、その顔を下から見上げる。
 身長の都合から、所謂上目遣いというやつになるのだが、彼女の目はそんな甘ったるいものではない。曇りのない、宝石のような澄んだ瞳が、力強く、凛とした視線でまっすぐに創の両目を捉えて放そうとはしない。
 押しのけられてしまいそうな威圧感に、創が思わず息を呑むのと同時に、彼女は言葉の続きを口にした。

「私達と一緒に、闘って貰えませんか?」

 言いながら、彼女は小さな手を2人に向かって伸ばす。
 その手を一瞬見つめてから、創は隣に立っている親友へ視線を向ける。親友は、好きにしろとばかりの表情で彼を見ていた。どうやら、どちらの選択肢を選んでもついてくるつもりらしい。義理堅いやつだ。思いながら、創は吐き気を飲み込み、両手で頬を叩いて平衡感覚を呼び戻した。

 そして、何も言わずに彼女の手を取る。まるで告白で設けているようで気恥ずかしいというのは確かにあったが、恐らく、こちらのことはほとんど見透かしているのだ、言葉は不要、精一杯の抵抗をするぐらいの権利はあるだろう。

「では……」

 握った手に力が込められる。まるで毛糸か木綿に締められているような弱弱しいそれを感じながら、創はシルフィリアの爛々とした視線に正面から答えて小さく頷いた。
 隣で翔が笑ったり泣いたりと、忙しそうなリアクションを見せている。傍目にそれを見て、2人同時に微笑を浮かべると、シルフィリアは手を放しながらゆっくりと、どこか仰々しい態度で語りだした。

「ようこそ、白の財団へ。
 あなたの手により、私達の剣はさらに強靭なものへと成ったことでしょう」